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ディベート部の歴史

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ディベート部の歴史
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極私的ディベート甲子園97

96年11月衝撃の交流試合
 前年、瑞雲中と文化祭で交流試合を行った。そのときはこちらが中2で瑞雲が中3だったので、ハンデをもらって戦った。
 さて、ディベート甲子園中学の部で準優勝したディベート部に、聖学院小学校のディベートクラブから交流試合の申し込みがあった。池内清先生率いる元気な小学生たちだ。全国準優勝チーム対小学校6年生チームとの戦い。今度はこちらがハンデを与えることになった。
 論題は「日本は小学校の英語教育を行うべし」に決定。ハンデは事前に行った練習試合の後で発表となる手はずだった。
 意気揚々と聖学院小学校に乗り込んだ中学生たちのうち、何人かは聖学院小学校の卒業生だった。しかも池内先生が担任だった生徒もいて、実にのびのびと振る舞っていた。試合は時間の都合で、女子聖:肯定側、聖小:否定側の1試合を行った。試合内容は当然だが、中学生の圧勝だった。
 問題のハンデは試合開始10分前に聖小チームが肯定・否定どちらをとったかを発表するというものだった。このハンデはけっこうきつかった。何しろこちらは肯定否定の両方を用意しなくてはいけない。相手はどちらかを集中してできる。
 さて、試合当日。審判は瑞雲中学校の池田先生と、当時東大の助手をしていたT氏がつとめてくれた。
 小学校の方からの申し出で、試合には出ないが、サポート役を一人壇上に座らせてくれというので許可をした。大沢みずほさんという子だった。この子がいると、周りが落ち着くのだという。
 10分前、小学校チームは否定側を選択してきた。先日の練習試合を大いに活用してきたわけである。こちらは準優勝メンバーから、質疑の出川と第1反駁「日本人は馬鹿なんです」の大島が外れ、東、川名が加わったチーム編成だった。
 前半は五分五分の勝負。川名の質疑で相手の立論担当だった男の子が、席に戻ってから泣いてしまうというハプニングもあった。
 反駁に入って、相手はこちらの立論を聞いて勉強してきた成果を精一杯出してきた。
 対する中学生は、ちょっとなめたのかもしれないが、証拠資料も一行エビと言われるような取りようのない引用の仕方で、藤田、森とも粗さが目立った。
 結果、2−0の負け。
 全国準優勝が、小学生に負けた、この衝撃はけっこう大きかったようだ。
 メンバーのうち、ばっさりと髪の毛を短くしてしまった生徒が出たのは、その影響だという噂が、まことしやかなに流されたものだった。(真偽のほどは不明)。

ディベート体験講座とパワーブック100
 96年10月から支部主催で、ディベート体験講座が始まった。初回は池田さん池内さんの「イケイケコンビ」に僕が加わって3人が講師になったが、この回から講師は2人になったかと思う。
 今ではちょっと信じられないけど、68名もの申し込みがあった。
 結局49名が参加。前回講座の際、江戸川学園取手高校の安斎先生が参加してくれたが、この日も江戸川学園から7名ほど高校生が参加してくれた。この中に「あの」山中允君もいたんだねえ。「いたんだ」というよりあのときから他の子たちを仕切っていたような気もする。
 あるいは北本高校の寺田先生も、この時に参加してくれていた。けっこう強面でびびっていた気がする。
 しかし、熱心な参加者が多くて、とても手応えのある講座だった。 が、この日の出来事で忘れられないのは、講座の後、パワーブック100をゲットしたこと。とあるフォーラムのオフ会で、ジャンケン大会を勝ち抜き、みごとあこがれのパワーブック100をゲットした。決戦の相手は、僕のマックの師匠である池田さんだった。

春休みは休みなし
 第2回のディベート甲子園に向けて、支部会でも動きが始まった。97年度からは地区大会を行うことになっていたため、どうやって参加校を増やすかがポイントになった。「中高とも20校」という至上命令が下る。何と言っても関東の枠は中高とも10校ずつ。最低競争率2倍はほしいという計算だった。
 当時僕は関東大会運営委員長を仰せつかっていた。「長」と言っても、下に運営委員がいるわけではない。名前ばかりで、まあ下働きだな。まずは連盟の会員で、中高の教師にみんな電話をかけることにした。
 次にやったのは、大学の名簿から関東近県で中高の教員をしている人をピックアップしての名簿づくり。これはやってみたら膨大な量に上った。さすが教員養成大学。支部会の時に配布して、分担して電話をしてもらった。電話嫌いの僕には一番の苦行だった。
 ネットワーク春の大会に参加した人へも声をかける。横浜の若葉台西中学校の北村先生にもここで声をかけた。専修大附属の太田先生にもたしかここで声をかけた。この時点では「責任を持って教えますから」と言っていたのだが、まさかあんなことになるとは…。

高校に持ち上がった
 新年度。中2、中3と担任していた生徒たちとともに、3年ぶりに高校に持ち上がった。ディベート部はそのまま高校でも活動を認められる。
 高校は準優勝メンバーがそのまま今年も参加することになった。
 問題は中学校の方だった。新中3は一人。中2はゼロ。
 ところが、思わぬ幸運が舞い込んできた。国語科に諏訪部先生が着任。実は前任校でディベートを教えていて、第1回のディベート甲子園にも引率で参加していた。その彼女が中1の担任になった。
 そして中1には、あの準優勝チームを破った聖学院小学校ディベートクラブの面々が上がってきた。さっそく池内先生から名前を教えてもらい、ディベート甲子園に参加する意志があるかどうかを確認した。
 結果、北山、大沢、後藤、名倉、峯岸の5名がメンバーとなり、中1のディベート甲子園への挑戦が始まった。
 諏訪部先生には、「中1の指導は僕がするから」という約束で顧問を引き受けてもらった。
 論題は中学校が「日本は選挙の危険に罰則をもうけるべし」、高校は「日本は首都機能を移転すべし」。
 中高ともなかなか歯ごたえのある論題だ。
 この時点ですでに関東大会申し込み締め切り1週間前になっていた。

負けない中1、なめている高1
 5月3日の関東大会に向け、準備を始めたものの、中高とも国語科の教師としては手に余る論題だった。中学の方では3月の研究会でモデルディベートをした栃木の鈴木先生が資料を送ってきて下さった。それを元に、中1に選挙についてレクチャーをするため、僕も一から選挙制度について勉強を始めた。
 しかし中1は4月の間は下校時間が4時半。クラブが始まるのが4時だから、30分しか時間がない。この中で説明をし、リンクマップを作り、なんとか議論を作っていった。
 高校の方はある程度手を離しても自分たちで勝手にやってくれるので、関東大会前は作ってきた立論の構成を多少直すように指示した程度で中学の方の指導に専念した。
 そして運命の監督会議。この年はここで組み合わせが発表になった。予選リーグは、高校は立川高校と専修大学付属高校と女子聖が入ってしまった。直前に1校辞退が出たため、急遽申し込み最後の専修が動かされてこういう組み合わせになったということだった。太田先生に「大会に参加してくれたら、責任をもって指導します」と約束していたのに、その専修と予選で当たってしまう。当時の僕にはそこで「あははは、ぶつかっちゃいましたねえ。」と笑い飛ばせる自信がなかった。練習試合もしたけれど、試合後のアドバイスが非常に歯切れの悪いものになってしまい、太田先生と専修大附属の諸君には大変申し訳なかったと今でも思っている。結局、豊島高校の近藤先生に、指導をお願いすることにした。
 そんな顧問の気持ちとは裏腹に、高校生たちはマイペースで議論を作っていった。ただ、肯定側はある程度めどがついたのだが、否定側の議論がもう一つうまく作れないで悩んでいた。そこで高校チームが取ったのは、「関東大会でネタを探そう」というなんともなめた作戦だった。しかし、この年、結局否定側の議論に最後まで苦しめられることになる。
 中学校の方は、この年初めて参加した創価中学校と、池田先生率いる瑞雲中学校との練習試合が非常に勉強になった。しかし、経験とは恐ろしいものである。立論がとりあえずできた段階で臨んだ練習試合。こちらがびっくりするような試合運びを中1チームは見せた。
 「デメリットは「衆愚政治になる」ですね。」
 「衆愚政治って何ですか?」
 中1らしいと言えば、らしいのだが、言葉を知らないから素直に聞くのが、相手にとっては盲点となった。しどろもどろに「衆愚政治は、…衆愚政治です」といった返事しかできない相手の中3に向かい、
 「では、今より何がどう変わるんですか。具体的に言ってください。」
 「…。」
 中1とはいえ、小学校5年生からディベートを経験しているということは、初めてディベートの試合をしている3年生を圧倒した。中でもびっくりしたのは、肯定側第2反駁の名倉が、
「それでは議論をまとめます」といって、メリットとデメリットの比較衡量を行ったことだった。
 対戦相手の瑞雲中の池田先生があんぐり口を開けていたのが忘れられないが、僕も同じ表情をしていたはずである。
 こうしていよいよ関東大会に突入していった。

第1回関東大会
 97年5月3日。第一回関東地区中学校高校ディベート選手権。いよいよ本番の日が来た。8時に目白に向かう。梶原さんや読売の人と一緒になる。会場の設営を手伝う。
 9時15分に目白に生徒たちを迎えに行く。控え室に着くとさっそく準備を始める。後藤がイミダス97の選挙の部分をコピーして持ってきてくれる。みんなやる気である。開会式。佐藤先生が浅草にアメリカ人の学生を連れていったエピソードから、日本人とアメリカ人のコミュニケーション法の違いを紹介し、しかしこれからは異質な文化を持ったものが理解し合っていくために、ディベート能力が必要だと話してくれる。
 選手宣誓は第1回ディベート甲子園優勝校の江戸川学園取手高校。山中君がビシッと決める。
 10時から試合開始。高校は最初は試合がなかったので、対戦校の専修大附属と立川の試合を偵察する。中学は渋渋と試合。ジャッジが松本先生。いやいや。相手の準備不足もあって勝った。
 昼からの第二試合は専修大附属と。肯定側で提出した災害対応力の強化が効いて勝つ。ぎりぎり。中学校も勝利。中学はこれでベスト8が決定。
 第三試合は立川と否定側で戦う。立川の舞木さん、三村君もよく戦ったが、立論があまり良くできていなくて、両方つぶれてうちの勝ちになった。
 3試合見ていて感じたのは、立論で現状との差をしっかり出せたところが勝っていたということ。特にJDAの人がジャッジしてくれるときにはその感じが強い。
 決勝トーナメントの組み合わせ。なんと中学は瑞雲と、高校は大原高校と対戦。
 大会2日目。決勝トーナメントと、敗者復活戦が行われる。高校の部で、敗者復活に回るはずの学校に棄権が目立ち、結局専修大附属、芝浦工大附属、開成の3校でリーグ戦を行うことになる。きちんと指導できなかったことに忸怩たる思いを持っていたので、専修の動向に気をもんだが、何とか全国大会出場切符を手にしてくれ、ほっと一息。
 諏訪部先生が所用で来れなくなり、中学校の方に張り付く。相手は瑞雲。肯定側立論を手直しして、メリットを2つに増やしたのが効いて、何とか勝ちを収める。高校も、大原高校に勝つ。が、態度が悪いとジャッジの青木さんに注意されたらしい。作戦通り、藤田は試合会場にワープロを持ち込んで、相手の議論をカチャカチャと打ち込んでいた。これだけでもけっこう傍若無人だが、反駁と質疑の相談をひそひそとやっているのが目に余ったようだ。
 他にも、ジャッジがコメントを述べているときに「ここは、私たちはこういうふうに言ったのですが、どうして取ってくれなかったんですか」等々、ふてぶてしさが目に付いたようだ。
 しかし、これで中高とも3位以内が確定。準決勝に進む。中学の相手は茨城の下館市立南中学校。惜しくも2対1の判定で敗れる。否定側で2反の名倉が珍しく上がってしまって、返しきれなかったところが出たため。
 高校も江戸川学園取手に敗れる。
 中学の決勝戦は下館南対江戸取。高校は江戸取対桐朋。
 高校チームは桐朋高校が大のお気に入りになる。人を食ったような態度に、相通ずるものを感じたらしい。
 しかし、結果は、中高とも江戸取の優勝。
 うちは中高とも3位で、「まあこんなものかな」と思っていた。そう、全国大会の組み合わせを見るまでは。

初代「死のリーグ」 
 8月1日。女子聖は前年同様、東京駅山手線外回りの先頭部に10時に集合した。ここから京葉線に移動し、海浜幕張駅へと向かう。僕は集合時間より前に、いったん駒込で降りて駅前の喫茶店で時間をつぶし、それから東京駅へ向かう。何となくそれがジンクスみたいになっている。
 山手線のホームから、京葉線までは遠い。その間に動く歩道が延々と続く。(話はそれるが「動く歩道」を「歩く歩道」と言って笑われた人、君は僕の友達だ。)普段だったらそんなに急がないのだけれど、どうもこれから試合だと思うと、つい動く歩道を使いながら、やたらと早足になってしまったりする。
 さて、京葉線へと急ぐ中、我々は不思議な人物を見ることになる。その人物は、おそらくはディベート甲子園に参加するであろうという若者たちの一団の中にいた。しかし、である。
 袈裟を着ている。丸坊主に、眼鏡。
 うーん、何なんだろう、と思いながらも、海浜幕張へ向かう電車へと乗り込んだのだった。
 さて、海浜幕張に到着した。荷物をかついで歩いていくことにした。ちょうど、下館市立南中学校の一団が前を歩いていく。後ろをついていくことにした。南中の顧問といえば、言わずとしれた大久保さんである。
 ところが、自信たっぷり、に見えた大久保さんは、実は道を間違えたのだった。
 でもまあ、何とか無事に神田外語大学に到着。さっそく控え室に貼ってある対戦表に目を通した。
 なんと! なんと!
 目を疑った。東海高校、創価高校が一緒ではないか。これで函館ラサールがいたら、宗教戦争だあ、なんて冗談を言っている場合ではない。いったいどういう組み合わせをすると、こういう無茶な組み合わせになるんだ!
 この中から1チームしか決勝トーナメントに残れない。
 しかも初戦は東海高校と、不得手な否定側でだ。
 この年、否定側デメリットには非常に苦労していた。
 デメリットを考えるのに嫌気がさした藤田は、「北朝鮮が世界を征服する」とかなんとかいうデメリットを作って持ってきたくらいだった。これはおねがいだからやめて、と却下した。
 そんなこんなで、実はこの日の朝、デメリットは作り直して大会にやってきた。
 関東大会中は、藤田は僕のワープロを抱えて試合をしていたのだけれど、幕張には自分のノートパソコンとプリンターを持ってきていた。ところが、プリンターとパソコンを今までつないだことがないという。プリンターのドライバーをインストールするところから、神田外語大学の控え室でやる羽目になった。しかも本人ができないので、僕にやれと言う。マック使いのぼくが、なんでウインドウズなんぞのパソコンをいじらにゃならんのだ、とぶつぶつ文句を言いつつ、電源を探して控え室をうろつく。見つけたところは、もう一つの対戦校、脇町高校のすぐ横だった。
 さて、東海高校である。あの坊さんは、実は東海高校のメンバーだったことが判明した。何でも寺へこもって得度して、山を下りたその足で幕張にやってきたらしい。名を本田大祐君という。
 全員一年生ということだから、うちの連中と同じはずなんだけど、なんだか老けたメンバーに見えた。
 さて、試合。なんとジャッジは松本茂さん。その他にも結構ギャラリーが詰めかけてくる。
 デメリットは、結局「移転先の環境破壊」にしたのかな。深刻性は地元の漁師さんが困るというトホホなものだった。
 こうなったらウケを狙うしかない。
 否定側第2反駁で登場した大島はこんなスピーチをした。
「肯定側と否定側は宗教は異なりますが、生命が大切であると言うことでは一致しています。」
 茂さんは手をたたいて喜んでいたのだった。
 試合の方は、まあ予想通りというか、負け。
 でも、この敗戦で、なんだか肩の荷がほっと降りた気がした。
 去年中学で準優勝して、その看板を背負って戦ってきたのが、有形無形のプレッシャーになっていた気がする。
 負けちゃったんだから、あとはやるしかない。レセプションは去年とは打って変わってアルコール無し。良きかな良きかな。
 今年から宿舎は幕張プリンス。でっけ〜。
 明日の第2試合、脇町高校戦へ向けて肯定側立論の作り直し、対策を2時までやる。

東海高校との共同戦線
 2日目。脇町高校との戦い。
 質疑の丁寧な応対が非常に印象に残る試合だった。
 試合の方は結構余裕をもって、勝つことができた。
 さあ、あとは創価戦だ。
 東海高校が創価に負けたという。となると、創価に勝てば2勝1敗で3校が並んで抽選に持ち込める。
 ということで、急きょ東海高校と仲良しになる。
 直前で新たに出された試算、実はあれをうちのチームは持っていなかった。
 なぜかというと、まず僕は新聞を取ってない。
 学校で読売、毎日、朝日は読めるので、それを毎日利用しているから。
 ところが、夏休みの間は学校は新聞を止めちゃうんだよね。
 ということで、僕は手に入れられない(近所の図書館に行けば良かったと気付いたのは、大会が終わってからだった。)
 生徒たちはなぜか朝日新聞を読んでいる者はいなかった。
 で、デメリットを潰すためにこの資料は欲しいなあと思っていたので、東海高校のカードをお借りして、コピーさせてもらった。(なぜか僕が走るんだよなあ、こういう時って。)
 東海高校には「僕らも勝つから、絶対創価に勝て!」と檄を飛ばされ、試合へと臨んだ。
 試合に関しては、大石君の「僕とディベート」に詳しい。
 ということで、別の話。
 会場に行って、おや?と思ったのは、関東大会でジャッジをしていただいていた篠さんがいらっしゃったことだった。まさか、創価の指導を時々していたとは知らなかったので、顔を見て、ちょっとドキッとしてしまった。
 というのも、うちのチームは篠さんに非常に無礼な態度をとっていたからだ。関東大会でジャッジをしていただいたとき、試合の後で判定に納得がいかない、と散々食ってかかった。
 「私はこう言ったのに、なんでここは取ってくれなかったんですか!」

 「いや、だからそれはね…」

 温厚な篠さんの顔色が青ざめて見えた。

 「後で説明するから、もうやめなさい」

 そんな風に制止するので精一杯だった。

 おかげで、女子聖学院の悪名はジャッジの間にとどろいていたのである。
 その篠さんが、なぜうちの試合を見に来たのだろう。
 そんなことを考えていた。
 試合の方は、デメリット2が予測できなかったというよりも、質疑から反駁への連携の見事さが印象に残った。特に小山君の反駁がは上手だった。こちらのプランとメリットの発生過程との不整合なところを実に見事に突かれてしまった。
 練習試合の時から格段に上手になっていたことに目を見張る思いだった。
 ということで、完敗。高校のレベルは高いなあ、と痛感させられた試合だった。
 控え室に戻ってくると、脇町に勝った東海高校が駆け寄ってきた。「ゴメン、負けた」と言ったときの彼等の落胆した顔は今も瞼に焼き付いている。
 中学の方は、昨日2勝していたのだが、八潮に負けて2勝1敗になっていた。そして、八潮、愛光と並んでしまったために抽選になっていた。結局はずれを引いて中学も決勝トーナメント進出はならなかった。

 「ようし、遊びに行こう!」

 ということで、会場を後にし、いったんホテルへ戻ってから散歩に出かけた。ディズニーランドに足を伸ばすでもなく、海岸へでて、ぶらぶらとマリンスタジアムのあたりを回っていった。マリンスタジアムの前では、「千葉県出身の慶應大学の高橋由伸君をマリーンズに入団させよう!」といった署名運動が行われていた。
 暗くなって戻ってくると、ちょうど、神田外語大学から戻ってきた創価のみんなと一緒になった。顧問の飯塚先生が興奮気味に近づいてくる。
「いやあ、こうして決勝戦まで勝ち残れたのも、筑田先生にあの夜、アドバイスをしていただいたからなんですよ!」
 あの夜?飯塚先生と夜を過ごしたことなんてあったっけ?
 よくよく伺うと、熱川で行ったディベートキャンプの時に、スタッフが先生方の部屋を回って、質問に答えたことがあったのだった。その時に、飯塚先生の部屋を尋ねて話をしたのが僕だった。

 なんでも飯塚先生は、キャンプの雰囲気に圧倒されて、荷物をまとめて帰ろうかと思っていたそうなのである。
 で、もしあの時帰っていたら、今日の決勝進出は無かった、というリンクだったわけ。
 うれしいような、かなしいような、そんなお礼の言葉だった。

 

敗者のたわごとディベート
 最終日。京葉線で新木場に出、新都市線で国際会議場前下車。
目の前にビックサイトがそびえる。
 去年はオリセンからバスに乗っての移動だったから、ちょっと新鮮な気分。
 今年は国際会議場より1階下の大部屋に他の学校と一緒に荷物を置いて、試合を観戦することになる。
 たしか高校の3位決定戦を見ていたときだったと思う。
 江戸取の山中君が声をかけてきた。

 「これから控え室で敗者のたわごとディベートをやるので、ジャッジをしていただけませんか。」

 控え室に行くと、すでに試合の準備が行われていた。
 肯定側に東海高校、否定側に江戸川学園取手高校。決勝でぶつかってもおかしくない顔ぶれだ。

 司会は函館ラサールの男の子がやってくれた。
 審判は僕を入れて5人。決勝戦と同じ。
 うちの藤田が飲み物を差し入れてしていたような気がする。
 非常になごやかな雰囲気で試合は行われた。
 判定はジャッジが一人ずつコメントをしていく形で行われた。僕だけ東海に入れたんじゃなかったかな。
 たしか3番目のスピーチで、ここで江戸取に入れてしまうと決着がついてしまうから、という理由で(!)東海に入れた。
 翌年から、決勝に勝ち残れなかったチーム同士が、ここで試合をするのが恒例のようになっていく。
 さて、中学の決勝戦が行われている間に、そんなことをして、会場に戻ってくると、もう高校の決勝がはじまる直前だった。

 決勝戦は創価のうまさが光った試合だった。
 大石君の早口は、結局改善されなかったけど、見事な試合だった。
 余談だけど、この後、早口問題について大会関係者が集まって会議が開かれたことがあった。実に有意義な議論がされて、その議事録をそのまま雑誌に掲載しようという話にもなったのだけど、その議事録を取っていた僕が、コンピュータを壊してデータを紛失してしまい、実現できなくなってしまった。
 で、その会議の時に、早口問題に警鐘を鳴らし続けていた、当時の関東支部長の佐藤喜久雄学習院大学教授が、大石君のスピーチに関して、「あれがマックスだ」という見解を示された。
 梶原建二さんも、「自分の能力をフルにしぼって、何とか書き取れる限界だ」という話をされていた。
 そのくらいギリギリのレベルで展開された議論だった。大石君の頭の回転の速さを証明する事例と言うこともできるかもしれない。
 まあ、できればあそこまで速くしないで、議論がまとめられていけばいいかもしれないね。
 そんなこんなで、97年のディベート甲子園は、創価の優勝で幕を閉じた。
 3位は豊島高校。あのストラテジーは、僕はハッキリ言って好きじゃないけど、ああいうディベートもあるんだろうね。(これは再三再四近藤さんには言ってるんだけどね。)
 終了後、チームのみんなが、引越祝いだと言って魚の形をした箸置きをくれた。
 そう。僕はこの夏、一軒家に引っ越すことになっていた。

 ディベート甲子園の翌々日に。
 関東大会2日目には、家に帰ったら三男が迷子になって一日大騒ぎだったという話も聞かされた。

 一家の主としては、失格の夏だったなあ。

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筑田 周一
s_chikuda@hotmail.com
最終更新日: 01.8.17